元気を出して

最近、ブログをあまり更新していませんでした。
毎日の診療では、難しい疾患を診ることもあれば、大きな手術をすることもあります。
けれども、今日を振り返ってみると、特別に難しい手術があったわけでも、珍しい疾患があったわけでもありません。
それでも、今日一日の中で一番心に残った
出来事がありました。
ある患者さんが、診察の終わり際に、
これまでほとんど話したことのなかった
プライベートなことを、
ぽつりと話してくれました。
病気のことについて長く診てきた患者さんです。
けれど、私たちは、いわゆる
「人生相談」をするような関係ではありません。
医師と患者。
基本的には、それだけです。
それでも、長く患者さんと向き合っていると、
ときどき、その人の人生の一場面を、
ほんの少しだけ見せてもらうことがあります。
今日も、そんな瞬間でした。
私は、その話を聞いて、
特別な励ましの言葉をかけようとは
思いませんでした。
人生には、悲しいことがあります。
思い通りにならないこともあります。

自分にも悪かったところがあったのかもしれない、と思うこともあります。
私自身も、これまでの人生で
いろいろな失敗をしてきました。
だから、
「頑張ってください」
という言葉が、いつでも人を
救うとは思っていません。
本当に辛い時には、頑張れと
言われたところで、頑張れないことがあります。
というより、すでに十分に頑張っているのです。
そんな時に必要なのは、
もっと頑張ることではなく、
「そういうこともありますよね」
と、一緒にその場所にいて
あげることなのかもしれません。
私は、その方にこんな話をしました。
ある人と一緒に過ごした時間が、その後に終わりを迎えたとしても、その時間まで遡って「無駄だった」と考える必要はないのではないか。
その時には、その時なりの意味があった。
一緒に過ごした時間があり、そこで経験したことがあり、そして、たまたまその関係に終わりが来て、お互いにまた違う道を歩いていく。
人生には、そういうフェーズがあるのではないでしょうか、と。
「終わったこと」と「無意味だったこと」は、同じではありません。
人生には、始まりがあれば終わりもあります。
仕事も、人間関係も、住む場所も、
病気との付き合い方も。
終わったからといって、その時間
そのものが消えてなくなるわけではありません。
その時間を生きた自分の中には、
何かが残っています。
そんな話をしているうちに、
私はふと、一曲の歌を思い出しました。
竹内まりやさんの「元気を出して」。

タイトルだけを見ると、
「元気を出そう」と励ます歌のように聞こえます。
でも、私はこの曲を、
もっと優しい歌だと思っています。
悲しい時には、悲しんでいい。
終わってしまったものを、
すぐに忘れなくてもいい。
少し泣いて、少し立ち止まって、
それからまた歩き始めればいい。
そんな歌のように感じるのです。
そして今日、その患者さんと話をした後、
私は診察室でこの曲を流しました。
普通の病院で、勤務医がこれをやったら、
多分叱られる、、苦笑、、
しかし、私自身が運営するクリニックですから、笑、、
私の独断で決めました、、笑
すると、その方が、
「この曲、母がよく聴かせてくれました」
と笑いました。
なんとも不思議な偶然でした。
人生というのは、ときどきこういうことがあります。
医師と患者として出会った二人が、たまたま同じ一曲を通して、ほんの少しだけ人生を共有する。
それだけのことなのですが、
私には妙に心に残りました。
人が本当に辛い時には、
言葉がいらないことがあります。
以前、私の大切な人が、愛犬を亡くしたことを
話してくれたことがありました。
この方は涙をぽろぽろ流していました。

その時、私は「頑張れ」とは言えませんでした。
「元気を出して」とも言えませんでした。
そんな言葉をかけても、
どうにもならない悲しみだと思ったからです。
だから、ただ抱きしめました。
それだけでした。

でも、それでよかったのだと思います。
「きっと大丈夫」
「時間が解決してくれる」
「前を向いて」
そんな言葉よりも、
ただ隣にいる。
ただ抱きしめる。

ただ一緒に悲しむ。
それだけでいい時があります。
悲しみを消してあげることはできなくても、
その悲しみを一人で抱えなくてもいいよう
にすることはできる。
人間にできることは、案外その
くらいなのかもしれません。
医師になって長くなりましたが、
私は最近、そんなことを以前より強く
感じるようになりました。
若い頃は、病気を治すことが
医師の仕事だと思っていました。
診断する。
検査する。
薬を使う。
手術する。
それが医師の仕事でした。
もちろん、それは今でも大切な仕事です。
けれど、長く患者さんと付き合っていると、
病気だけを見ているわけにはいかなくなります。
病気が良くなった後にも、
その人の人生は続きます。
治療が終わった後にも、仕事があり、家族があり、別れがあり、新しい出会いがあり、
また別の悩みが生まれる。
医師が見ることのできるのは、
その長い人生のほんの一部分です。
それでも、ときどき患者さんが、
その人生の一場面をこちらに見せてくれる。
今日も、そんな一日でした。
特別に難しい手術をしたわけではありません。
珍しい病気を診たわけでもありません。
それでも、私にとっては、今日の診療の中で一番心に残った出来事でした。
人生には、山もあれば谷もあります。
そして谷の底にいる時には、
遠くの山なんて見えません。
だから、無理に前を向かなくてもいい。
泣いてもいい。
立ち止まってもいい。
何もできない日があってもいい。
ただ今日を終えて、眠って、また明日を迎える。
それだけで十分な時もあります。
そして、いつか少しだけ上り坂になった時には、また歩き始めればいい。
終わったものを「無駄だった」
と決めつける必要もない。
その時には、その時なりの意味があった。
ただ、一つのフェーズが終わって、
また別のフェーズが始まる。
人生とは、案外そういうことの
繰り返しなのかもしれません。
「元気を出して」。
でも、本当に辛い時には、
今すぐ元気にならなくてもいい。
言葉すら、いらない時もある。
ただ誰かがそばにいてくれる。
ただ抱きしめてくれる。
それだけで、人はもう一日を
生きられることがある。
そして、その一日が積み重なって、
いつかまた、少しだけ前に進める日が来る。
今日の診療を終えて、そんなことを考えました。




